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北朝鮮にも携帯電話がある

写真:YOUTUBE

今度北朝鮮のピョンヤンで韓国と北朝鮮の合同公演があった。韓国と北朝鮮の有名な歌手と企画者たちが集まり分けられた国が一つになった姿を見せてくれた感動的な瞬間だった。こうして韓国と北朝鮮の関係が回復されている現在、閉じられていた北朝鮮の日常も注目されている。公開されていなかった北朝鮮の日常の様子を見てみよう。
 北朝鮮は2008年にエジプトの通信企業であるオーラスコムテレコムに頼んで移動通信サービスを再開した。2004年にリョンチョン駅に爆発事故があってから4年ぶりだった。当時に200名が死亡したこの爆発事故に関してキムジョンイルを狙った暗殺だと噂があり、携帯電話での情報流出を心配した北朝鮮の政府は移動通信サービスを中止させた。
 では、北朝鮮の歓迎の中で改めてスタートした中東最大の通信企業のサービスは成功したのだろうか?オーラスコムの投資規模は国外資本の北朝鮮への投資としては史上最大だった。
 結論からゆうと、北朝鮮で10年目を向かうオーラスコムは進退両難状態になってしまった。コーラスコムはビジネスの危険性が高い国家でもよく乗り越えたけど北朝鮮では明日撤収してもおかしくないぐらいリスクから回避できなかった。
 2007~2008年にかけて北朝鮮との交渉で北朝鮮に4年間4億ドールを投資する条件で北朝鮮で3世代WCDMA技術基盤の移動通信の事業権を取得した。2008年からは4年間独自的にサービスできる権利を含め25年間北朝鮮でサービスビジネスができるライセンスだった。オーラスコムは安全性は低いが高成長ができる国家に進出して事業を成長させてきた。’人口が多いし移動通信の加入率が低いところを攻略する’のがオーラコムスが明かした経営戦略だった。この会社が進出した代表的な国家はアルジェリ、パキスタン、エジプト、バングラデシュなどがある。
 北朝鮮とエジプトは外交的に特別な関係だった。北朝鮮は1973年に会った第4次中東戦争に空軍を派遣しエジプトを支援した。当時の空軍総長がホスニムバラク(HOSUNI MUBARAK)だった。ムバラクは1981年エジプトの大統領になって2011年まで30年間権力をもっていた。
 でもオーラコムスの北朝鮮事業は2013年から異変ができた。オーラコムスは北朝鮮から稼いだ収益金を外部へ持ち込めなかったせいで悩んでいた。こうしてオーラコムスと北朝鮮の争いがひどくなった状況で国際社会からの制裁もひどくなってきた。オーラコムスは2014年の会計報告書に”UN安全保障理事会の対北朝鮮決意に違反しないように努力している”と報告した。
北朝鮮は予想できなかった国際状況に対応するに大きな代価を払った。しかも経済状況による加入者が減っていて悩みは増えてきている。

 


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